茅ヶ崎の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

神奈川県茅ヶ崎市歴史探訪
茅ヶ崎市の概要
茅ヶ崎市は、神奈川県の中南部に位置し、南は相模湾に面しています。相模原台地の丘陵地帯と相模川の河口に形成された砂州地帯とで形成され、気候が温暖で住みやすく、戦前までは別荘地、戦後は首都圏のベッドタウンとして急速に都市化が進みました。

茅ヶ崎のあゆみ
現在、神奈川県下には二百か所を超える先土器時代の遺跡が発見されており、そのうちの八割以上が相模原台地に存在しています。

平安時代後期、鎌倉から藤沢・茅ヶ崎一帯に進出した大庭氏一族が、荒野だったこの地の開発に着手しました。
鎌倉時代には京都との往来が盛んになり相模川に橋が架けられ、鎌倉と京都を結ぶ街道の道筋であった懐島(現在の円蔵・浜之郷・西久保・矢畑辺り)は交通の要衝となりました。源頼朝の家臣、稲毛重成が亡妻供養のため架橋した旧相模川橋脚が、現在も残されています。

江戸時代のこの地域には23の村があり、いずれも旗本領と幕府直轄領で占められていました。なかでも、江戸町奉行として有名な大岡忠相(ただすけ)の一族が領主として知られており、大岡越前祭にその名残がとどめられています。

明治維新後の明治22年(1889年)、市制・町村制が敷かれ、23の村が茅ヶ崎・鶴嶺・松林・小出の4ヶ所の村に集約されました。それぞれが自治体として地方自治の運営にあたり、その後小出村を除く三か村の合併が行われ、茅ヶ崎町が成立しました。明治20年代初頭の東海道線の開通も、茅ヶ崎周辺にとって大きな発展の要因になりました。茅ヶ崎駅開業を契機に別荘地としての発展が始まり、茅ヶ崎海岸も海水浴場として賑わい始めます。

しかし戦争により、茅ヶ崎も柳島から赤羽根に至る各地区が被災し、終戦とともに貧しい生活を余儀なくされます。このようななか、市制施行が実現し、昭和22年(1947年)に、県下では8番目の市として茅ヶ崎市が誕生します。その後の復興はめざましく、市民文化の拠点として都市基盤整備が進み、平成元年(1989年)に茅ヶ崎市の人口は20万人を超えます。そして現在も「自然と人がふれあう心豊かな快適都市 茅ヶ崎」を目指し、発展を続けています。

茅ヶ崎の名前の由来
名前の由来は、中世以来の郷名で、千(ち)ノ川の崎に茅が生えている地形にちなんだものといわれています。


茅ヶ崎の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
茅ヶ崎市文化資料館
住所: 神奈川県茅ヶ崎市中海岸2-2-18
[地図を見る]
電話番号: 0467-85-1733
開館時間: 9:00〜16:00
休館日: 月曜日 (月曜日が祝日の場合は翌日が休館)
12月27日から1月4日
入館料: 無料







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